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「中2」と「小1」の年の差兄弟が暮らす「とぅえの家」@東京の運営記録 −子育てメインに節約・旅行・仕事など−

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理想の夫婦 駄菓子屋のおじいちゃんの訃報

近所にある駄菓子屋さん。

東京には珍しい?昔の下町にあるような駄菓子屋さんが近くにあります。

 

神奈川県から東京に越して来たばかりの頃、長男が通っていた保育園の送迎途中に、寄り道をせがまれ、頻繁に立ち寄っていました。

当時、おじいちゃんが80歳くらい、おばあちゃんは70代後半くらいだったと思います。

こんな老夫婦が2人で営む駄菓子屋さんでした。

1年後に長男保育園を転園したあとは、週末たまに寄る程度になりました。現在通う次男の保育園も、長男転園後の保育園と同一ですので、送迎時に立ち寄ることはありません。

ですが、近くに行った場合には、今でも、必ず立ち寄るようにしています。

 

そんな中、おばあちゃんから、おじいちゃんが倒れて入院したことを聞きました。

おじいちゃんは、80歳超えていましたが、バイクに乗って、DM配達のアルバイトをするようなとても元気な方でした。(一方で、おいおい!という思う気持ちもありますが…)

ですので、入院を聞いた時にはとても驚きました。

しかし、本人はしっかりしていると聞いていたので、また元のように元気になって戻ってくることに、全く疑いは持ちませんでした。

その後も、リハビリ専門の病院に移って元気にしてるなどと、状況は聞いていました。

車イスでの退院になるかも知れないので、家をバリアフリーに改築しなければならなくて、大変だわ。なんて話もしていました。

 

そして先日、近くを通ったので、いつものようにお店に立ち寄りました。

親族の方がいらしているようで、いつもより賑やかな感じがしました。

一緒にいたオットが、「今日何かあるんですか?」と尋ねると、「息子たち夫婦が来てるのよ。」

そして私に向かって、「おじいちゃんが亡くなったの」

「え?…」

絶句でした。

私の実父が亡くなった時の、急に元気がなくなって老け込んだ実母のことを思い出しました。死後3年くらいは元気がなかったと思います。

「おばあちゃん、大丈夫? 体だけは大事にして。」

「でも、私も、もう疲れちゃって、おじいちゃんのところに行こうかな。」

「今は人生100年時代だよ。ずっと元気でいなきゃダメだよ」

「ありがとう」

もう、80歳を超えているおばあちゃん。それまで2人で切り盛りしてきたお店を1人でやるには、とても大変だったと思います。そこに、おじいちゃんが亡くなったことによる悲しさ。おばあちゃんのおじいちゃんのところに行きたいという言葉がグサッと私の心に突き刺さりました。

 

お2人がお元気だった頃の記憶が蘇ります。

何度も寄り道するうちに、雑談などもするようになりました。

私が「夕ご飯何にしようかな〜」なんてグチると、「うちは今日は〇〇で、昨日は△△だったよ。」とアドバイスくれたり、次男が生まれると「うちも男の子2人だけど、男の子は優しいよ」と励ましてくれたりしました。

そして、雨が降った時には傘を貸してくれたり…。

80まで夫婦元気でお店をやっていられるのは、とても理想的だと思っていました。

私は帰省した際、こんな駄菓子屋さんが近所にいるんだよと、実母に話していました。

 

東京に越してきたばかりで知り合いのいなかった私の、少ない話相手でもありました。東京のおばあちゃんという感じですかね。

そして、私が子供の時に、近所のお店(個人商店)にお菓子を買いに行っていたような体験を、同じように長男にさせてあげられたのが、とても嬉しかったんです。

コンビニにも駄菓子コーナーはありますが、やっぱりちょっと違いますからね。

 

この駄菓子屋さんには、後継者がいないとのこと。近隣の商店では、高齢の経営者がお店をやめたり、亡くなった後は、マンションに建て替えされています。個人商店はどんどん姿を消しています。

「私がいなくなったら、このお店は終わりだね〜。」なんて、おばあちゃんがかつて話していました。

早く元気を取り戻して、この駄菓子屋さんをずっと続けてもらいたいなと心の底から思います。

2歳次男にも物心がついて、子供の頃にこんな駄菓子屋さんで買い物をしていたなと、記憶に残るようになるぐらいまで、頑張ってもらいたいです。

 

寂しがっている長男。

今度、駄菓子屋さんに行ったら、今思っていることをそのままおばあちゃんに伝えるようにとだけ、言っておきました。

「僕はこのお店がなくなったら寂しいので、ずっと頑張って続けてください」と。

 

おじいちゃん、どうもありがとう。

ゆっくり休んでください。

 

以上

最後までお読みくださりありがとうございます🍀