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「中2」と「小1」の年の差兄弟が暮らす「とぅえの家」@東京の運営記録 −子育てメインに節約・旅行・仕事など−

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中学時代の病院大部屋での不運と、仕事のオーバーラップ

ふと、中3の時の嫌な思い出に包まれました。

 

今、仕事が絶不調でメンタルが相当やられているのですが、あの時(中3)の感覚と共通したものがあり、思い出してしまったのかもしれません。

 

虫垂炎で入院した時の話です。

かなり昔の、愚痴っぽい話がメインですので、苦手な方はスルーでお願いいたします。

 

その頃、学校が面白くなく、逃げ出したいと思っていたところに、タイミング良く盲腸。

当時は、開腹手術しか選択肢はありませんので、約1週間の入院となりました。

 

高校生との2人部屋になり、とても良さそうな人で良かった〜と思っていたのも束の間、1泊したところで、看護師さんに声を掛けられました。

その高校生のお友達が同じ部屋に入院したいので、今空いている大部屋に移ってもらえないか?と。

大部屋は人数が多くなるだけだしと、あまり深く考えずにOKしました。

 

元先輩への気まずさから始まる

この高校生のことは知らなかったのですが、私が通う中学校卒。偶然にも、お見舞いにくる彼女の友達が、私が途中で辞めた部活動の元先輩だったのです。

 

中学校の部活って、半端ない上下関係がありますよね? その元先輩と顔を合わせるのですから、私としては、分が悪いというか、落ち着かなかったのも、移動に応じた理由です。

 

また、田舎でしたので、退院後、どこでどう繋がるか、わからなかったですし。

(部屋を譲らないことで、変な噂を立てられるのも嫌だった。)

 

そして、大部屋(6人部屋だったかな)に移りました。

 

ひがむ老人からの嫌がらせ

そこからが、不運の始まり。

中学生で入院となると、なかなか珍しいですから、お友達が、お見舞いに来てくれます。

 

しかし、それが気に入らない人がいる。

 

大部屋となると、長〜い間、入院しているお婆さんもいます。

そのお婆さんが大声で、「そこの患者が…」と、事あるごとに、私を名指しで、文句を言うようになったのです。

 

私も中学生ですから、至らぬ点もあったと思います。ギャーギャー騒いだつもりはありませんが、小さい声で話をするように促すことなど、できていなかったと思います。(談話室なんてない。)

 

多感な時期の中学生。面と向かって(嫌味的に)文句を言われることに、とてもショックを受けました (今でも遠慮したいけど)。

そして、自分に文句を言う人と、24時間一緒に過ごさなければならない。

苦痛でした。

お見舞いに来た母に、泣き言を言うと、

「長く入院していると、誰もお見舞いに来なくなるから、ひがんでいるんだよ」

と教えてもらいました。

(母は元、地元での看護師なので、その辺の事情は良く知っている。)

そういうものか…。

それ以来、ベッド回りのカーテンは閉めっぱなしにしました。

 

掃除のおばさんに怒られる

そして、更に不運な出来事が。

お見舞いに来てくれた友達(男子3人組)の靴が汚れていて、私のベッド回りは泥だらけに。

なんでも、田んぼやら、あぜ道やらを歩いてきたため、靴にドロがついてしまったのだそう。(田舎なので)

 

すると、男子3人組の帰宅後に、掃除のおばさんが、

「あれ、見てみなよ。あの患者のところにきた人が汚したんだよ」

と、これまた大きな声で、私への当て付けのように、他の入院患者に話をしてました。

 

その掃除のおばさん、私の近所に住む人です。

ですから、登校時にはすれ違うので、毎朝あいさつをしていました。しかも、よく話をする上級生のお母さん。

愛想が良い人ではないなと、子供心に思っていましたが、裏ではこんなに威張った人だったとは…。

 

中学生の私は、本当に悲しかったです。

それ以降は、男子3人組には、それとなく靴の汚れのことは話し、帰った後には、自分でホウキを持ってきて、掃除することにしました。

開腹手術してますが、ま、仕方がない。

 

(介護施設の裏方スタッフなどでは、田舎特有のドロドロがあるとの噂もあり、この病院の裏方にも、そんな雰囲気を感じ取りました。)

 

涙の昼食

そして、ついに退院の日…。

入院が混んできたので、午前中には、出て行って貰いたい病院側。

一方で、1日分の費用が取られるので、せめても、昼食は食べてから退院させたい母。

結果、病院側は、昼食はOKしてくれましたが、その代わり部屋は明け渡してもらいたい。

ということで、昼食はひとり、ぽつんと待合室のような所で取る羽目になりました。

 

本当に多感な時期なので、何事もなく普通に入院して、何事もなく退院したい私。こんな形で、目立ちたくは無かった。

 

「あの患者は、あんな所でまで食べてる」と、またスタッフの冷たい声が突き刺さります。

退院するその頃は、世の中(病院)の厳しい洗礼を受け続け、心が折れていました。

惨めな思いでいっぱいの中、涙を流しながらの昼食。

他人に見られないように、何度もトイレに駆け込みながら…。

 

払拭できない過去と開き直り

今、こうやって書いていても、なぜあの時に集中して、嫌な事が起きたのかわかりません。

学校もうまく行かず、入院先でもトラブル続き。

この中3の時期は、私のこれまでで、1位、2位を争う不運な時でした。トラウマになり、今でも、ど〜んと、私の精神面に、重くのし掛かっています。

 

今振り返ると、その時の状況と、今の仕事(会社)の状況が少し似ているのです。

嫌だな〜と思うことが一気に押し寄せて来て、何をやっても裏目にでるばかりで、思うように進まない。

 

これが大殺界というものなのでしょうか。

(計算していないけど、中3の頃もそうだったのかな。)

 

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でも、高校に入ってからは、友達にも恵まれ、とても充実した3年間を過ごすことができました。

止まない雨はない。

ですかね。

だけど、もし、こんなうまく行かない状態が3年も続くとなると、結構しんどいです。

(大殺界は3年)

1年目にして既に、結構、メンタルやられてるので。

考え方によっては、この不調は、大殺界のせいと、開き直ってしまえば、諦めもつくので、心がちょっと軽くなるかもしれませんね。

 

以上

最後までお読みくださりありがとうございます🍀