🍀tue-noie

中学生と小学生の年の差兄弟が暮らす「とぅえの家」@東京の運営記録 −子育てメインに節約・旅行・仕事など−

MENU

幼い子どもとの会話 -『死』について

どこで覚えてくるんだか、我が家の子どもたちが『死』という言葉を遣い始めたのは、2人とも4歳くらいの時です。

(まさに次男の今です。)

 

『死ぬ』には「こちょこちょ」

2人とも3歳頃から、「いじける〜」と言いながら、本当にいじける(笑)ようになってきたのですが…そこに言葉の発達と共に『死』という言葉が加わった感じです。

 

ちょっと気に入らないことがあると、

「僕、死ぬ〜」

と布団にくるまってしまうのです。

2人ともそんな感じでした。

 

オットが、気に入らないことがあるとダンマリして部屋に閉じこもるタイプなのですが、子どもたちはこういう所に似てしまったのかな? 男子ってこんなものなのかな?と不思議に思っている今日この頃です。笑

 

でも、親としては、自分の子どもの口から『死』という言葉は聞きたくない。

『死』なんて、最も我が子から切り離したいこと。

 

なので、

復活〜!こちょ こちょ こちょ こちょ!

と、布団にくるまる子どもをくすぐって、ゾンビのように生き返らせてます。笑

 

面倒くさい性格の奴らだなと思いつつ笑、日常ではこんな風にやり過ごしています。

 

本気で話すと涙

そんな日常の中でも、ふと、まじめに『死』について話す機会も訪れます。

 

今でも鮮明に覚えているのは、長男4歳の時。

最終的には、2人で一緒に泣きました。

 

死んだらどうなるの?

お空に行ってしまうの。

空?(空の方を指差しながら)   じゃ、もう、会えなくなるの?

そうだよ…

 

あ"〜ん

泣き出す長男。

 

まだ漠然としか『死』の理解はできてはいないんでしょうが、いなくなってしまう寂しさというものは、なんとなく悟ったようです。

その長男の気持ちを思ったら、私まで涙がポロポロ。

死んじゃったら寂しいね…

 

でも、

まだまだ誰も死なないから大丈夫!

と、長男を元気付けて、締めくくりました。

 

死んだふり

一方で、感受性が強く、人の気持ちをとても良く理解する長男の性格とはちょっと異なる次男。

 

何かのタイミングで、長男の時と同じように、

『死』とはお空に行ってもう会えないこと

について話ました。

 

反応はとてもさっぱりしていて、ふ〜ん、そうなんだ…的でした。

長男とは対照的に、大して理解できていないようです。

 

先日のこと。

軽く蹴ったり、叩いたり、私にちょっかいを出す次男。言ってもなかなか止めようとしません。

 

「僕、死ぬ〜」を多用していた時期でしたので、ちょっと死んだふりをしてみることにしました。

 

ママ? ママ? 起きて! 

いつもは、

うっそ〜!ママが死ぬわけないじゃん! ママはそう簡単には死なないのだ〜! うっひっひ。

と、不死身をアピールするのですが、その時は、ベッドに横たわったまま無反応。

 

次男がママ?ママ?を繰り返すも、完全無視。

 

だんだんと次男は大人しくなっていきました。

 

タイミングを逸してしまった感と、次男がどういう行動を取るのかの好奇心で、私はそのまま死んだふりを続けました。

 

ママ、死んじゃったの? ごめん、僕が悪かった…

目の前で横たわる私の前で、とても静かに言う次男。

 

そして、何かを諦めたかのように、私のそばをはなれ、突っ伏して泣き出しました。

 

私もちょっとやり過ぎたかしら…。

と思うと同時に、『死』というものを若干感じ取ったかな?と思った瞬間、

長男とのお空の話を思い出し…私も泣いてしまいました。

 

自分が仕掛けた罠なのに、自分がかかる始末(≧∀≦)

子どもと『死』がちょっとでも結び付くと、やっぱりダメですね…。

 

そのあと次男は、オットのところに走って行き、私の死を訴えていました。

大して反応もしないオットですので、また私の所に戻ってくる次男。

 

ママ!

あ〜、うるさいな〜。眠っているんだから静かにしてよ〜。

ママ、死んでなかった!

目をキラキラさせる次男。

だ、か、ら! ママはそんなに簡単に死なないから!

 

安堵した次男でした。

 

この一件でわかったのは、

 

✔︎次男は、死んだと思って泣く時も短時間

✔︎でも何となく、死んだらもう動かなくなることは理解しているらしい

✔︎オットは、万一本当に私が死んだとしても、なかなか気付かない可能性あり

 

ですかね。笑

 

大袈裟に捉えなくても良いかもしれない

私としては、聞かれた時には真摯に答えようとは思っていますが、こんな小さな子どもに、積極的に『死』について教える考えはありませんでした。

 

こんなことに怯えたり、寂しさ感じて日々暮らすよりは、もっともっと人生の楽しさをわかってもらった方が良いと思っているからです。

 

ただ、空の話で大泣きした長男ですら、その数ヶ月後に祖父(私の父)が亡くなった時には、『死』のことはすっかり忘れている様子でした。

(私はその無邪気さに救われたのですが、遠方に住む祖父と自分の母とは、距離感は違うのかもしれません。)

 

普通に成長していく過程での、幼い子どもへの死の説明は、

おそらく誰でも通る道で(子どもっていつかは尋ねてきそう)、子どもはそれなりに自分でその思いを消化して(または忘れて笑)毎日を過ごすので、

あまり大袈裟に捉えなくても良いのかもしれないな〜というのが最近の結論です。

 

祖父母は全く別の考え

私の高校生時代。

私が死んだら、臓器提供してよ。灰になるよりは、他人の体と言えども、私の身体の一部が残った方が良いと思うしー。

子どもが、親よりも先に死ぬなんて話をしてはダメ。そんなことは絶対にあってはならない。

と、提供の是非を問う以前に、一蹴されて終わりました。

普段は怒らない温厚な両親(私の実親)だったにも関わらず、この時だけは、2人に猛攻撃されましたとさ。

 

 

以上

最後までお読みくださりありがとうございます🍀